OUR HIDDEN SPACE

心に刺さった愛する者(物)を全力で語る、私(たち)の隠された場所。

元演劇部部員が語る【IPYTM】①

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IPYTM4話放送後、

 

辛い、号泣、オーエウが可哀想、苦しい…

 

という感想を多く目にしたこと。

 

IPYTMのWOWOW放送前に、

 

タイ沼の先輩方から、

 

「3話で年越すのはちょっと…」

 

「3話は情緒をやられる」

 

「3話は賛否両論、主に否だった」

 

という感想を多く伺っていたこと。

 

この二つの出来事が有ったからこそ、

 

今回感想を書いてみたいと強く思いました。

 

端的にお伝えすると、

 

IPYTM3話を見た私の感想は「そうきたか!」というプラスの意味での新鮮な驚き、

 

4話に関しては、「テーがしたことは確かに最低だけれど、オーエウはそんなに傷つかなくていい。あれは浮気にカテゴライズされるものではないから。」でした。

 

勿論全ての感想に目を通したわけではないので、

断言はできませんが、IPYTM3.4話で私が抱いた感想は少数派であるように感じました。

 

また、私が上記のような感想に至った大きな要因が、「私自身が演劇経験者であること」ではないか、と思いました。

 

実際に、テーとチャイ先輩がやっていた演劇のレッスンをプロの先生(現役の舞台女優)に受けたことがあり、テーの一連の行動は全てではないにせよ、共感も理解も出来るものでした。

 

そのため、演劇経験者の視点からIPYTMを紐解いてみたいと思うようになりました。

 

 

とはいえ、

 

私は、学生時代に演劇部であった、

成人してから2年間プロからレッスンを受けていた、

 

というアマチュアの経験しかありません。

 

そのため、あくまで趣味で演劇をかじっていた人間が紡ぐ、至極個人的な感想であることをご理解いただき、読み進めていただけたら…と思います。

 

 

【ITSAY】”愛”よりも昔、”孤悲”のものがたり②

海の中で、

 

人知れず思いを通い合わせた二人。

 

 

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しかし、海の中以外の場所で、

 

自分の思いを真っ直ぐに表現できるほど、テーは器用でもなく、大人でもありませんでした。

 

オーエウに対する気持ちが何なのかわからない。

 

彼を大切に思う。彼を愛したい。でも愛し方がわからない。

 

そもそも愛していいのかわからない。

 

ターンに抱いてきた思いと、オーエウに抱く思いとの違いに、

 

ただただ戸惑うことしかできません。

 

 

ターンの下着にドキッとしていた自分は消え失せ、

 

 

ターンが女性としての覚悟を見せつけるような服装をしていても、

 

 

それに全く気づくことができない。

 

 

ターンに対しては抑えられた性的衝動を、なぜかオーエウには抑えることができない。

 

 

オーエウの赤い下着姿を見て、激しく欲情し、その衝動を行動に移してしまったあと、

 

 

テーは自分のベッドの中で大声をあげて泣き出します。

 

 

隣には自分が模範とすべき兄が寝ていて、

 

 

自分の視線の先には憧れの「勇健」が飾られていて、

 

 

自分の体を覆う毛布は、オーエウを象徴する赤。

 

 

そのような中で、オーエウに欲情し、その衝動を抑えられない自分への罪の意識を深めてしまい、ただただ泣き出してしまうのです。

 

 

一方のオーエウは、テーから自分が望む「答え」を与えてもらうことができず、

 

 

ただただ塞ぎ込むことしかできない。それだけではなく、受験からも夢からも逃げようとする。

 

 

家のリゾートで働くという、安全で、自分が傷つくことのない選択をしようとします。

 

 

そんなオーエウに、「大丈夫だ。頑張るんだ。」、「俺が力になるよ。」とバスは声をかけますが、オーエウは曖昧な表情だけを残してその場を去ります。

 

 

こうして二人は、海でのキスの後、互いの「幼さ」故に、異なる形で身動きが取れなくなります。

 

 

そして、

 

 

その中でテーが下した苦しく切ない決断が二人のすれ違いの決定打となります。

 

 

 

テーは、1話でオーエウが推薦入試に不合格となったときに、

 

「勉強ができるなら一般入試を受けろよ!」となじられたことを鮮明に覚えていたのでしょう。他ならぬ、オーエウに言われた言葉だったから。

 

 

その記憶も相俟って、テーはオーエウのために、自分の気持ちが何なのかわからないまま、

 

「推薦入学辞退」という選択をします。

 

 

オーエウの気持ちも、ターンの気持ちも、友人達の気持ちも、家族の気持ちも全て置き去りにして。

 

 

テーが自分のために推薦入学を辞退したと知ったオーエウは、「余計なお節介」、「いらない」、とテーの手作りのテキストをわざわざ引用して、怒りに満ちた感情を露にします。

 

 

自分が欲しかったのは、それではないと。

 

 

自分がテーから与えて欲しかったのは、大学入試合格ではなく、テーからの愛の言葉なのだと。

 

 

直接言葉にできないからこそ、感情的な表現に終始します。

 

 

テーがオーエウを思って与えたものと、

 

オーエウがテーから与えて欲しいものが、

 

異なるものであったこと。

 

 

それは、二人がお互いを思う気持ちを持ちながらも、

 

最終的に自分の物差しでしか物事を図ることができず、

 

お互いの気持ちにまで目を向けることができない人としての「青さ」故。

 

その象徴がここで起きてしまった大きな「すれ違い」だと感じます。

 

そして。

 

物語はこの後、

 

二人の「幼さ」、「青さ」、「一人よがり」、「自分勝手」という様相を一気に鮮明にしていきます。

 

 

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テーは、自分の元にやってきたターンを晴々とした表情で迎えるものの、

 

その心は完全にオーエウに移行していて、

 

あからさまにターンとの身体的距離を取ろうとします。

 

そして、「(ターンへの)自分の気持ちは本当だった」という言い訳を繰り返します。

 

「ごめん」と口にするものの、その口調はどこか軽やかで。

 

 

「怖いんだ」、「お前に嫌われたと思った」、「お前を失いたくないんだ」というこれ以上ない思わせぶりな言葉を吐いた後に、

 

 

平然と「以前のようには想ってなくても、お前と友達でいたい」と言ってのけるのです。

 

その言葉を聞いたターンの表情が一瞬で曇ったことにも気づかず、ただただ自分の思いを吐露していきます。

 

 

ターンが懸命に絞り出した「愛しあってないなら、友達でもいいじゃない」という言葉にも、彼女を思いやる素振りを一切見せず、すぐさま頷いてしまう。

 

泣き出してしまった彼女に、「何で泣くんだよ」と明るく聞けるほどに無神経なテーの姿は、

 

 

物語の中でこれ以上ないくらいに、身勝手で、滑稽です。

 

 

ターンが描いたテーが演じる勇健の胸には、紫のハイビスカス(ターンの下着に描かれていたもの)が描かれていました。

 

 

これは、ターンがテーとのこれからをしっかり思い描き、おそらく自分の「初めて」をテーに捧げること、

 

そしてそれは二人の大切な思い出になること、

 

その象徴として描いたのが紫のハイビスカスであったはず。

 

にもかかわらず、テーはその絵の意味に全く気づかないし、

 

目の前の自分の感情を読み取ることすらできない。

 

そんなテーの様子をすぐさま察知したターンはただただ自分の本音を隠し、泣きながら微笑む。

 

決して、テーをなじったり、引き留めたりしない。

 

テーを思うが故に身を引く、優しく聡明な女の子として描かれています。

 

だからこそ、

 

目の前のターンが深く傷つきながらも、

 

懸命に言葉を紡いでいる姿に全く気づかないテーの「愚かさ」が鮮明になります。

 

 

 

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バスは、テーとの対比を多く描かれているように感じます。

 

バスは、オーエウが望む愛し方をきちんと表現できる子です。

 

一般入試前に、中国語の塾に皆で集まった時も、

 

友人たちや先生の前で堂々とオーエウに「お前はできる」と励まし、

 

「お前が好きだ」と、「この感情を恥ずかしいとは思わない」ときっぱり言ってのけます。

 

 

また、テーとオーエウの運命を大きく左右する一般入試の後の帰り道、

 

 

バスは笑顔で、これ以上ないくらい自然にオーエウの手を握り、その手を引いて歩こうとします。

 

 

人目を気にして手を離し、「恥ずかしくないの?」と問いかけるオーエウに、

 

 

その質問の意図が理解できないとばかりに、笑顔で「なんで?」と問い返すバス。

 

 

以前、手が触れ合ったにもかかわらず、テーはその手を決して握ってはくれなかった。

 

 

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バスに「なんで?」と問い返された後のオーエウの表情が、嬉しさと悲しさの混じった何とも言えない複雑な表情をしていること、バスに引かれた手を見つめながらも足取りがやや重いところなど、PP君の繊細な演技が光ります。

 

 

そして、オーエウの愛されたい願望をそのまま具現化したかのようなバスもまた、

 

 

ターンと同じく、オーエウを思って身を引く聡明な人物として描かれます。

 

 

一般入試の発表日、オーエウは見事に合格した一方で、テーは第一志望の大学に不合格になってしまいます。

 

 

「無理だ」と言われた第一志望校に合格したはずなのに、浮かない顔のオーエウ。

 

 

バスはオーエウの心が自分にないことをしっかりわかっていました。

 

 

オーエウのことを思うからこそ、バスは車で彼をテーの家に連れていきます。

 

 

そして「さあ、降りて(テーに)会いにいけ」と優しく背中を押します。

 

 

一度はテーの家に近づくものの、オーエウはテーに会いにいく勇気はありませんでした。

 

 

それどころか、目の前のバスに抱きつき、「傷ついてるあいつを見たくない」と泣き出します。

 

 

「バス、ごめん・・・」と言いながら、彼の優しさに甘えるオーエウ。

 

 

バスはオーエウの気持ちがテーにあることを知りながら、彼の勉強に付き合っていた。彼の幸せを願うからこそ。そして受験の結果が出た今、オーエウの背中を押しました。相手の気持ちを考えて行動するバスの姿は、

 

一般入試の直前に、久々に会ったテーに、聞かれたからとはいえ、

はっきりと「(バスと)付き合ってみてる」と言えてしまうオーエウとは大きく異なります。その言葉を聞いてテーが傷つくことはわかっているだろうし、実際にテーは激しく動揺してしまい、試験に集中できないのですから。

 

 

テーの家の前で、バスの優しさに甘え、彼に謝るより先に「傷ついているあいつを見たくない」と泣きじゃくるオーエウの姿は、

 

 

一般入試直前のテーに対する振る舞いと相俟って、非常に幼く滑稽に見えます。

 

 

言葉を選ばずに言うのであれば、このシーンではバスの優しさを利用した人物として映ります。

 

 

 

私は最初に、ITSAYは「愛でもなく、恋でもなく、「孤悲」を描いた物語だ」と述べました。

 

 

そして、それがこの物語の「核」なのだと。

 

 

物語ラストの5話で、ターンとバスが、

 

相手を思い、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先する、

 

 

心優しく聡明な人物として描かれているのは、

 

 

決して尺が足りなかった、テーとオーエウがメインの話だから、などの物理的な理由ではなく、

 

 

テーとオーエウの「滑稽さ」、「愚かさ」を鮮明にするためであった、と私は考えます。

 

 

そうすることで、テーとオーの「愛よりも恋よりも昔、「孤悲(こい)」の物語」を描き切ったのではないかと。

 

 

そして、彼らの「孤悲」を描くためには、ターンとバスを、

 

「孤悲」よりも先の「恋」をしている人物造形で表現する必要があったのではないかと。

 

 

また、ITSAYはサイドストーリーであるLTIPに続くように、

 

 

テーとオーエウの「孤悲」が「恋」に昇華される瞬間をしっかりと描いています。

 

 

テーの昇華が描かれたのは、

 

固く閉ざしていた自分の迷い、焦り、困惑を言葉にしてフン兄さんに伝えたシーン。

 

 

それまでのテーは、賢さやプライド、母への愛情を渇望する思いから、

 

オーエウへの感情を必死に自分の中に押し込めてきました。

 

苦しくて、悲しくて、どうしようもない時は、ただ泣くことしかできなかった。

 

その思いを言葉にすることができなかった。

 

 

フン兄さんを前に、堰を切ったように、「泣く」行為の先を、自分の本音を、しっかりと言葉にしていきます。

 

弟の気持ちに気付きながらも、テーがその口を開くまで待っていたフン兄さんは、

 

優しく、そして強く、

 

 

「もしお前が愛していない人と一緒になって

 お前が幸せじゃなかったら、母さんも幸せじゃない

 お前の人生だ

 お前が幸せな道を選べばいい

 誰を好きになっても変じゃない」

 

とテーに語りかけます。

 

賢く、プライドが高い自己完結型の人間として描かれてきたテーが、

 

まるで幼な子になったかのように、ゆっくりと、

 

「兄ちゃん 本当?誰を好きになってもいいの?」

 

と問いかけます。

 

フン兄さんは「ずっと前からそうだ」と告げ、テーを優しく抱きしめます。

 

自分の思いをフン兄さんに吐露し、答えをもらったことで、

 

テーは自分で自分を縛り付けていたものを、しっかりとほどくことができました。

 

 

この場面は、いわばテーの通過儀礼として描かれています。

 

 

次にオーエウの昇華が描かれたシーン。

 

それは、5話のラストシーン。

 

テーと共に夕日を眺める場面。

 

「無理だ」と言われた受験を自力で突破したオーエウは、

 

テーとの約束を果たそうとします。

 

久々に再会したテーは、たくさんのココナッツをバイクに積み、

 

オーエウと並走します。

 

二人の距離感はいつかの、友人であった時のように穏やかです。

 

 

岬にたどり着いた二人は涙を流しながら、美しいプーケットの夕日を眺めます。

 

二人は互いにきちんと向き合い、

 

テーが入学を辞退したこと、

 

テーが合格した大学に進学すること、

 

これからはテーから連絡すること、

 

オーエウがバスと友達に戻ったこと、

 

テーとターンも友達に戻ったことを素直に話していきます。

 

そして、ここでもまた、

 

オーエウはテーに、

 

「なら、俺とお前は?」と問いかけます。

 

ですが、その後に、何かを覚悟したような顔で、

 

「もう今は何も気にしない

もし友達に戻るなら戻れるし

もしライバルなら なれるから

お前が俺のことを好きでも嫌いでも

受け入れる

お前の好きなように

形なんてどうでもいい

だけど1つだけ・・・

俺の前から消えないで

 

とテーに告げます。

 

自分に自信がなく、相手を試すような問いかけを繰り返していたオーエウ。

 

核心を突く言葉は相手から言って欲しい、

 

その言葉をくれないなら、その思いはいらないと突っぱねた。

 

海でのキスの後、

 

「お願いだから・・・」のその先を言葉にできなかった。

 

テーが自分に歩み寄るのを待つことができなかった。

 

そんなオーエウが、初めて口にした”願い”、

 

それは、

 

たとえテーが自分を愛していなくても、

 

ただただ自分の目の前にいてほしい、という切なるものでした。

 

テーを思いやりながらも、自分の願いを言葉にすることができたこの瞬間が、

 

オーエウがテーに対する「孤悲」を「恋」に昇華した瞬間なのだと思います。

 

テーがオーエウを象徴する赤に近いエンジ色のズボンを履き、シャツには赤い刺繍が施されていること、

 

オーエウがテーを象徴する青に近い緑がかった青色のズボン、同じ色のネクタイをしていることからも、

 

二人が自分の思いだけでなく、相手の思いに共鳴し、成長した様子が表現されている

ように感じます。

 

そして物語ラスト。

 

 

オーエウの願いに対するテーの答えが、

 

「何にでもなっていいなら、

お前の恋人になっても?」であることも、

 

まだまだ愛の言葉を語るには、少し早い、

 

二人の様子をしっかりと表現しているように感じます。

 

「好き」、「愛している」という言葉ではなく、

 

オーエウの願いに真正面から答えた、

 

「もう二度と消えたりしない」というテーの言葉が

 

物語の一番最後に紡がれたことで、

 

IITSAYの世界観を完璧に締め括ったと思います。

 

 

 

私はこの後のLTIPまでしか視聴しておらず、IPYTMは視聴していません。

 

ただ、今のところ、

 

ITSAYは「孤悲」

 

LTIPは「恋」

 

IPTYMは「愛」

 

を描いた物語になるのではないか・・・と思っています。

 

この考察は12月のWOWOWの放送を見届けてから、また書きたいと思います。

 

驚いたことに、①と②合わせて、1万文字以上書いていました・・・。

 

長いばかりで上手くまとめられず申し訳ありません。

 

ただ、ITSAYに対する情熱は全て、文章に込めたつもりです。

 

少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

 

ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

P.S.

こちらでのコメントは、なぜか私からのお返事が反映されません。もしコメントをくださる方がいらっしゃいましたら、ツイッターの方に残していただけると大変助かります。よろしくお願いいたします。

 

何卒

 

JUNA

 

 

【ITSAY】”愛”よりも昔、”孤悲”のものがたり①

「”愛(あい)”よりも昔、”孤悲(こい)”のものがたり」

 

これは「君の名は」や「天気の子」で有名な、新海誠監督の「言の葉の庭」という短編映画のキャッチコピーです。

 

このキャッチコピーが、ITSAYの世界観を端的に表すのなら、最もしっくりくるなと思っていて。

 

私自身の考察メモには、

 

「愛し方がわからないテーと愛され方がわからないオーエウの大きな痛みを伴う成長の物語」

 

と書いたのですが、これでは言葉不足だな…と思い、考えを巡らせた結果辿り着いたのが、このキャッチコピーでした。

 

 

 

テーとオーエウが、互いを思う気持ちは、

 

「恋」と呼ぶには、あまりに幼く、青い。

 

「愛」と呼ぶには、あまりに自分勝手で、一人よがり。

 

「ITSAY」は「恋」でもなく、「愛」でもなく、それより前の、

 

「孤悲(こい)」を描いた作品なのだと。

 

そう考えると、緻密な伏線と、無駄な絵がなく、テーとオーエウの心の移ろいを完璧なまでに描き切った本作において、私が唯一「ご都合主義だな」と感じた点が、

 

決してそうではなく、おそらく本作の核の部分を表現するために必要な描き方だったのだ、と気づきました。

 

今回はその「気づき」について考察していきたいと思います。

 

 

 

本作において、私が唯一違和感を感じたのが、「バスとターンの描かれ方」でした。

 

あまりにも二人が大人で、物分かりの良い子として表現されていて、

 

テーとオーエウの心理描写が緻密なだけに、どうしても違和感が否めませんでした。

 

バスもターンも、もっとオーエウとテーに自分の気持ちをぶつけていいだろう、怒っていいだろう、と。

 

二人と同い年のバスとターンが、相手の幸せを願って、相手のために行動して、最終的に身を引いてしまうことが、どうしてもリアルに感じられませんでした。

 

でもそれは、テーとオーエウがメインである以上、バスとターンの話にあれ以上時間を割くことができなかったのだろう、いわゆる物語上の都合なのだろう、と解釈していました。

 

 

けれど、ITSAYが「恋」と「愛」よりも昔の、「孤悲(こい)」を描いたものがたりだと仮定するのならば。

 

バスとターンは、あの人物造形でなければならなかったのでないか、と考えるようになりました。

 

 

以下、

 

ITSAYが「孤悲(こい)」を描いた物語であること、

 

そして、テーとオーエウの「孤悲(こい)」を描くためにおそらく造形されたであろう、

 

バスとターンの描かれ方について、私なりに紐解いていきます。

 

 

※ネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

※あくまで私の個人的な解釈です。正解に辿り着くためではなく、作品を深く楽しむために紡ぐ文章であることをご理解いただけましたら幸いです。

 

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まず、この物語の主役であるテーとオーエウの性質について。

 

テーが青、オーエウが赤を好んでいることに象徴されるかのように、

 

二人はお互いを思いながらも、その思いの形も、表現方法も、また、物事に対する考え方や、処し方も正反対のように思えます。

 

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テーは賢く、理知的。そしてプライドが高い。

ただ、その根底には、あまりに完璧な兄を尊敬しつつも、心のどこかで羨む気持ちもあり、言葉にはできない(することができない)複雑な思いを抱えています。

 

テーは、そのプライドの高さから、負の感情や、自分の頭が理解できないことを決して言葉にしないし、することができない。

 

辛いとき、苦しいとき、彼なりの精一杯の表現方法であり、思いの発露であるのは「泣く」という行為。故にITSAYでは、テーが思い悩み、苦しみ、混乱し、「泣く」姿が多く描かれています。

 

けれども、彼の表現は「泣く」止まり。

 

「泣く」行為の先で、フン兄さんに自分の思いを吐露する場面までの彼は、

 

いわゆる「自己完結型」の人間です。

 

それが顕著なのが、母親から自分に向けられる思いの解釈。

 

3話でテーは、オーエウに、

 

「昔から俺は母さんの自慢の子じゃなかった。母さんは兄貴の自慢ばかり。」

 

と語っています。

 

実際に、店の客に兄を自慢する母に対して、テーが複雑な表情を浮かべる描写もあります。

 

そんなテーの「解釈」とは裏腹に、

 

テーの母は息子二人にきちんと平等に愛情を注いでいます。

 

それは、テーが一般入試を受けた時に、彼が「大学に受かったこと」に喜ぶ(「どこの大学」かではなく、テーの夢が叶うことを喜んでいる)描写や、入学手続きをするはずだった日に、部屋に飾られていたYシャツとネクタイ、そして手作りのメッセージから伺い知ることができます。

 

けれど、「自己完結型」のテーは、母が兄を語る言葉から、「自分は兄よりも愛されていない」と勝手に思い込み、それはやがて「自縄自縛」へと形を変えてしまうのです。

 

自分も兄のように、品行方正でなければならない、

母の自慢の息子でなければならない、

母の望む自分でいなければならない、

自分も母が誇りに思うような相手を恋人にしなければならない・・・、

 

自分で縄を引き寄せて、自分で自身を縛り付けてしまう。

 

そして、その中で彼なりに導き出した答えを体現していってしまう。

 

最たるそれが、「自分が大学入学を辞退することで、オーエウを合格させる」というあまりに切なく不器用な選択でした。

 

彼は自分の中で「これが最良の選択だ」と自己完結してしまいます。

 

オーエウの気持ちを聞くこともなく、

 

家族や友人に相談することもなく。

 

 

 

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一方のオーエウは、

 

情緒的且つ衝動的で、やや自己肯定感の低い人物として描かれているように感じます。

 

オーエウは、「自己完結型」のテーとは異なり、

 

何事も相手の意思を「確認」してから行動しようとします。

 

一つ前の記事にも書きましたが、テーとの関係においても、

 

「先に仕掛ける」のは常にオーエウです。

 

ですが、核心には決して触れません。

 

相手の思いを試すかのように、

 

あえて核心には触れない、けれども自分の思いをしっかりと忍ばせた語りかけをします(ちなみに私はこのオーエウの思いの表現の仕方がこの作品の素晴らしさの一つだと思っていますが、それはまた後日)。

 

 

この人物造形は他のシーンでも何度か表現されていて、

 

幼少期に勇健に指名された時は、言葉にせずとも表情でテーに、

 

「本当に僕がやっていいの?」と確認しているし、

 

3話でハンモックに揺られながら語り合うシーンでも、「分かっているはずだよ」、「本当にわからない?」、「お前はいつから?」という、

 

テーの心を揺さぶるような問いかけをすることで、彼の意思を確認しようとし、お互いの方向性を決めるような「答え」をテーから引っ張り出そうとします。

 

また、テーとの対比が色濃く描かれたのが、4話で両親に自分のことを話すシーン。

 

オーエウは、「僕のことを誇りに思っている?」と泣きながら両親に確認します。

 

オーエウは自分の気持ちに自覚的だし、自分の弱さを言葉にすること(人に見せること)もできる。

 

ただ、その弱さ(臆病さ)、自己肯定感の低さゆえに、

 

「確認」しないと不安で仕方ないし、傷つきたくないという気持ちが強いという一面もある。

 

 

また、母の下着を身につけ、それをSNSにあげるという、いわゆる「自傷行為」を、自分の中ではなくあえて周りも巻き込んでしてしまうという負の衝動性もある。

 

その引き金は常に、彼の繊細で自己愛に満ちた「情緒」であって、非常に不安定で、危うい印象を受けます。

 

テーが母からの愛を上手く解釈できていないのとは異なり、

 

オーエウは両親からの愛情を一心に受け、本人もそれを理解しているように見えるからこそ、その「危うさ」はより際立って感じられます。

 

 

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また、恋愛に対する処し方も、二人は正反対に感じます。

 

端的に表現すると、

 

テーは「相手を愛したい」、オーエウは「相手に愛されたい」という思いが強い。

 

これは、二人が幼少期にオーエウが「勇健」を演じることになった時も、

 

テー=教える側  オーエウ=教えられる側であったこと、

 

そして、

 

二人が再会し、仲直りする手段として、テーがオーエウに「中国語の勉強を見てやろうか?」と申し出るところにも通ずるところがあります。

 

 

テーは基本的に相手を大切にしたい、そして愛したい。

 

だから、ターンに対しても、本人いわく2年間も口説いているし、

 

彼女の思いを尊重して、受験が終わるまではその答えを「待つ」と伝えている。

 

ターンに対しては、彼女の歩幅に合わせて歩こうとしています。

 

二人が交わした唯一のキスも、結局はターンからしたこと。

 

また、何気なく見えてしまったターンの下着に動揺するものの、

 

それ以上のことは絶対にしない。相手のことを大切に思い「待つことができる」少年として描かれています。

 

一方のオーエウは、自分の思いをやんわり語ったり、態度に表すことはあっても、

 

最終的な答えは、必ず相手から言葉で示してほしいし、そうなるように仕向けています。

 

バスに対して自分に気があるかどうか試そうとするのも、テーに対して意味深い問いを繰り返すのも、傷つきたくない、という思いと共に「愛されたい」という思いが強いからでしょう。

 

 

 

3話で、テーの自宅で「勇健」を二人で見ている時も、意味ありげに、確固たる意思を持って、テーの足に先に触れるのはオーエウです。

 

これは、私の深読みかもしれませんが・・・、

 

一見同じように見えるお互いの太ももに触れ合う二人の手の動きも、

 

ほぼ同じ表情で同じ箇所に触れ続けているテーに対して、

 

オーエウは視線がころころ変わり、心なしか色んな意味で「核心」に迫ろうと、

 

うちへうちへ手をわずかながら移動させているように見えます。

 

オーエウは先に誘いはするものの、その先は相手に自分の思うように、強く強く引っ張っていってほしいと思っている。そして、愛されたい。

 

 

3話ラストでも、「まだ眠くない」と言い張るテーに、

 

自分の思いを忍ばせながら「じゃあ、どうする?」と聞く。(シャワーを浴びた後という表現があるから、この問いにはものすごく効力がある。)

 

4話のキスの後も、自分たちの関係を「これから、どうする?」とテーに問いかける。

 

オーエウは、自分がこうしたい、こうされたい、という願望を決して伝えようとしません。

 

あくまで、相手が自分が欲しい「答え」を口にすることを望み、

 

そうなるように自分の思いを忍ばせた問いかけをしています。

 

 

そして、相手が望む答えを出さない(出せない)ことを察すると、

 

 

自分を傷つけまいと、それ以上先には進まず、時にその場から逃げ出します(4話のキスシーンの後)。

 

 

テーは、今まで相手を大切に思うからこそ、相手の歩幅に合わせて歩いていた自分が、

 

オーエウに対しては、嫉妬心や性的衝動から自分をコントロールできなくなってしまうことに大いに戸惑うし、中々受け入れることができない。

 

 

それは彼にとっては、恐怖を感じるレベルのもので、ただただ泣くことしかできない。

 

それだけでなく、「兄のようでなければならない」、「兄のようでなければ、自分は母から愛されない」という勝手な思い込みが、彼のオーエウに対する感情を阻んでいきます。

 

 

オーエウは自分の気持ちに自覚的だからこそ、テーに与えて欲しい「答え」は一つしかなく、

 

その「答え」に執着するあまり、

 

海の中でのキスのあと、

 

その「答え」を決して口にしないテーを理解できず、待つことも出来ず、「こんなの嫌だ。お願い、お願いだから・・・」と一度は泣いて縋るものの、

 

「お願いだから・・・」のその先、一番重要な部分を言葉にすることができません。

 

そして、「そんな気持ちなら要らない」とばかりに、

 

「なら、今日から消しなよ。」、「もう友達でも何でもない」と言い放ち、

 

テーを置いて、去っていきます。

 

まるで、あの日置き去りにされた自分の気持ちをテーになぞらせるかのように。

 

 

「幼さ」故に、心を通わせながらも、その思いを上手く表現できなかった二人。

 

 

海の中でのキスの後、その「幼さ」が牙を向き、

 

互いへの思いを「孤独」に「悲しむ」ことしかできなくなり、

 

身動きが取れなくなってしまいます。

 

 

②に続きます。

 

 

 

【ITSAY】絶対王者2getherをも凌いだ、映像史に残る海中キスシーンの素晴らしさ

LINE TV AWARD2021において、BEST KISS SCENEを受賞したITSAYの海中でのキスシーン。

私は賞レース中、ITSAYを未視聴であり(そもそも存在を知らず)、2gether沼に正にドボンしていた時でした。

 

そのため、受賞結果を知った時、「え!!あのサラタイ以上のキスシーンがこの世のどこにあるのさ!!??」と大きな衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。

 

ですが、ITSAYを見終えた今、あの海の中でのキスシーンが多くの人を魅了したこと、

 

そして、

 

世界中を熱狂の渦に巻き込んだ、タイBLの王者とも言える2getherを凌いで賞を取ったことにとても納得しました。

 

どちらが秀でていたかではなく、それぞれのキスシーンの背景と意味合いが大きく影響したのでは?と考えました。

 

今回は、ITSAYの海の中でのキスシーンの素晴らしさについて、またその背景について私なりに考察していきたいと思います。

 

 

今思えば、海またはプールの中でのキスシーンは、これまでも何度となく、いわゆるBLカテゴリーの映像作品で多用されてきた絵です。

 

登場人物が水泳部という設定が何だか多い気がするのも、

 

「男性二人」、「水の色と肌の色」という絵が美しく、画面に映えるから採用されやすいのでは、と推測します。

 

では、ある意味見慣れているはずの海中のキスシーンが、何故、

 

ITSAYを象徴し、多くの人の心を揺さぶり、絶賛されているのでしょう。

 

その理由を私なりに紐解いていきます。

 

※ネタバレを含みます。未視聴の方はご注意願います。

 

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まず、このキスシーンを語るには、一つ前の3話に言及しなくてはいけません。

 

3話で、テーはオーエウに対して友情ではない特別な感情を持っていることに気づきます。

 

しかし、その思いがどのようなものなのか、頭では理解できておらず、

 

ただただ、心と身体が先導してしまい、オーエウとの心と身体的な距離が明らかに縮まっていきます。

 

 

それが一気に溢れ出してしまったのが3話のラストシーン。

 

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テーは何かを確かめるように、たどたどしくも、オーエウの身体に触れ、

 

その手の力は次第に強さを増し、オーエウを抱き寄せます。

 

テーは目の前のオーエウに欲情し、その衝動を抑えきれなくなります。

 

ここで私がハッとしたのは、

 

テーの欲情のトリガーが「胸」であることが2話で示されたていたこと。

 

2話では、バイクで街を走りながら、まだ女性の胸に触れたことがない、という会話をテーとオーエウがしています。そして、その後にターンの白いYシャツから覗く下着に、明らかに戸惑うテーの描写がありました。

 

後ろからオーエウを抱きとめたテーは衝動に身を任せ、オーエウの胸元に手を伸ばし、おそらく自分が誰かと身体的に初めて繋がる時にはこうするのだろう、と思っていたことをオーエウにしていきます。

 

荒くなる呼吸。オーエウの胸に触れ、その衝動は強く強くテーを突き動かします。けれども、自分が思い描いていた膨らみのある胸とは異なるオーエウの平たい胸に、テーは一気に現実に戻されてしまう。

 

いきなり熱を持った身体を放り出されたオーエウは、不安が募り、テーの思いを確かめるかのように彼にキスをしようとします。

 

しかし、テーはそれに応じることができなかった。それだけでなく、戸惑いを隠しきれず、さっきまであれほど触れていたオーエウを残して、階下の部屋に行ってしまいます。

 

自分から仕掛けはするけれど、核心をつく言葉は相手から言ってほしい、行動でもしっかり示してほしいオーエウが自らキスを求めた。これはオーエウにとってはとても勇気のいる行為で、冷静な状態ならおそらくしないこと。あまりに不安で身体が動いてしまったのだと思います。

 

だからこそ、このキスを拒んでしまったテーの行動がもつ意味は重く、オーエウを深く傷つけてしまった。

 

そして、4話。

 

苦しくて、歪な距離感を懸命に保つ二人。結局、その距離感に先に耐えられなくなったのはオーエウでした。

 

オーエウが自分の側から離れるのは嫌、けれどもその気持ちをどう表現していいのかわからないテーは、寝る間も惜しんでオーエウのために中国語のテキストを作ります。

 

そしてそれを手にオーエウに会いにいきます。

 

最初はぎこちない距離のままの二人。特にオーエウは、テーにキスを拒まれたことから大きな不安を抱えていて、自宅に会いに来たテーに近づかれる度に、一旦は受け入れつつも、身体的な距離を取ろうとします。

 

けれど、オーエウの視線は不安が根底にありながら、どこか扇状的。

 

二人は、オーエウの家の階段の下で、その身を隠しながら抱き合います。

 

決して「愛の言葉」を交わさずに。

 

そして、オーエウはテーを海に誘います。

 

子供のころと同じように、海面に身を任せる二人。

 

ここでも先に、海に身を沈める(先に仕掛ける)のはオーエウなんですよね。

 

オーエウの後を追うようにすぐさま海に潜るテー。

 

海の中で手を取り合い、お互いを見つめる二人。

 

ここでもまるで「大丈夫だよ」と言わんばかりに微笑む(先に仕掛ける)のはオーエウなんですよね。

 

その表情を見た後、テーの視線がオーエウの唇に落ちていき、

 

二人は引き寄せられるように、初めて唇を重ねます。

 

ここで流れる音楽がまた素晴らしくて。

 

今までは、主題歌の「Skyline」、いわゆる歌詞がある歌が大きな役割を果たしてきましたが、

 

二人がお互いの気持ちをやっと表現することができたこのシーンでは、あえて歌詞のない曲が使われていて、より物語の中に引き込まれます。

 

二人が唇を重ねた直後に、画面が切り替わり、美しいプーケットの海が大写しになります。

 

私、初見の時は、「え、このタイミングで海に切り替わるの?」と少し驚いたのですが、

 

改めて見てみると、一見静止画のように見えるこのシーン、画面左上で波が静かに、でも強く、ゆっくりと砂浜に押し寄せているんですね。

 

これ、二人の気持ちが徐々に海の中で溢れていく、互いに互いを思う気持ちが「押し寄せていく」、その流れに抗えない様を表しているように思えて。

 

そう解釈してからは、この海のショットがとても大切だと感じています。

 

 

再び二人の画面に切り替わると、先に身体を引き寄せている(先に仕掛けている)のはオーエウ。

 

でも。

 

テーの手が徐々にオーエウの胸元に伸びていきます。

あの日、テーはオーエウに欲情しながらも、胸を触ってしまったことで、

急に不安が頭を過ぎり、オーエウの元から去ってしまった。

そして、「胸」はテーの欲望のトリガー(ちなみにこのシーンでは、その役割ではなく、象徴として使われている)。

平たいオーエウの胸を、自分の気持ちを確かめるかのようにもう一度触れていきます。

自分は、オーエウの身体を愛せるのか、と。

 

それに気づいたオーエウは、あの日のことを思い出し不安になったのでしょう。

目を開け、一度唇を離し、テーの表情を確認します。

テーの手が前のように迷うことなく、そして離れることなく自分の胸に置かれ続け、

尚且つ目の前で目を閉じたまま、キスの余韻に浸っているかのように見えるテーの表情を確認し、もう一度唇を重ねます。

キスをしている間、テーは最後までオーエウの胸に触れたままなんですよね。

これは3話での描写があったからこそ、ものすごく重要な意味があって。

テーは、オーエウの心だけでなく、身体も愛せることに気づいた。

オーエウは、テーに自分の身体を愛してもらえることを知った。

だからこそ、

キスの前のオーエウの笑みは、テーに対する「大丈夫だよ」という表現に感じるのですが、

キスの後のオーエウの笑みは、「テーに自分の身体を愛してもらえることを知ることができた」という喜びの笑みのように感じます。

 

そして。

 

オーエウの笑みにつられるようなテーの微笑みは、「オーエウの身体を愛せることに気づけた」ことへの安堵感からくるものなのかなと。

 

海の中は、テーを象徴する「青色」。

 

キスシーンの途中で映し出されるハンモックにかかった二人の洋服も、

 

いつもは赤色のものを身につけてばかりいるオーエウが「青色」の服を着ていた。

 

人目を気にして、中々自分に真っ直ぐ向かってきてくれない、確信のある言葉をくれないテーのために、オーエウが作り出した「青い世界」。

 

テーはそこに身を沈めることで、初めて、自分の感情を素直に表現することができた。

 

オーエウが作り出した「青い世界」でなければ、そうすることができなかった。

 

これだけの意味を、このシーンにしっかり持たせたことが、

 

ITSAYのキスシーンの最も素晴らしいところであり、他の作品の水中キスシーンと一線を画すところだと思います。

 

このシーンでかかる曲のタイトルが「OUR HIDDEN SPACE」というのも素晴らしくて。

 

「僕たちの隠された場所」、なんて切ない響きなのだろうと。

 

初恋が実った場所なのに。二人が初めて思いを通じ合わせた場所なのに。

 

それは「隠された場所」でなくてはいけなかった。

 

そう考えていくと、賞レースで一騎打ちを演じた2getherのキスシーンを凌いで、

 

ITSAYのキスシーンが受賞したことも納得してしまいました。

 

もちろん私もStill最終話のキスシーン大好きなんですよ。

 

あんなに幸せなキスシーンはないよなって心から思っています。

 

けれど、2getherのキスシーンは、それまでの物語の中でももちろん描かれていて、

 

尚且つ二人はもう正真正銘、自他共に認める愛し合うカップルなんですよね。

 

だからこそ、見ている誰もがハッピーになれるようなシーンだったと思います。

 

それとは正反対のベクトルで描いたのがITSAYで、彼らのキスまでの距離があまりにも苦しく、切なく、遠かったこと、

 

そして、結局は幻想の世界(オーエウが作り出した世界)でしか彼らは自分の思いを表現できず、

 

そんな二人の「初めてのキス」であること。

 

 

この世界観の差が、受賞の決めてだったのかなと。

 

単に世界観、背景の違いですよね。

 

ハッピーな絵が好きな人は2getherを選ぶだろうし、

 

私みたいに心を揺さぶられたり、心が震える絵を好む人はITSAYを選ぶだろうし。

 

どちらも素晴らしいシーンであることに変わりはないですが、

 

「芸術性」ということに焦点を当てるならば、

 

ITSAYがあまりにもその世界観や表現方法、描き方が完璧過ぎたのだと思います。

 

というわけで長々と語ってしまいましたが、

 

私はITSAYの海の中でのキスシーンは、

 

映像史に名を刻んだと思っています。

 

圧倒的な映像美で綴る、

 

自分の気持ちを素直に表現できなかった二人の、

 

青くて、痛くて、美しくもどこか切ないキスシーン。

 

このシーンのように、観る者の感性を物凄い力で揺さぶってくる作品はそうありません。

 

少なくとも、私の中では「永遠の1位」であり続けるでしょう。

 

ここまでお付き合いいただいた皆様、貴重なお時間をありがとうございました。

 

 

何卒。

 

JUNA

 

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JUNAです。

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初めまして。

JUNAと申します。

今年の夏に、2getherTHE MOVIEによってタイ沼に沈みました。元々BLを愛好していました。

コロナ禍により、趣味の海外旅行ができなくなり、現在は海外赴任を目指し、仕事に励みながら、その疲れをタイ沼で癒す日々を送っています。

今までは、視聴したドラマについてTwitterで語ってきましたが、やはりもっと長文で感想を書きたいと思うようになり、ブログを開設しました。

記事の中心はタイを中心としたBLについての考察や紹介になると思います。

流行りや最新情報には非常に疎く、そつばかりあるブログになると思いますが、温かく見守っていただけたら幸いです。

特に、ドラマの感想、考察については、かなり独断と偏見にまみれたものを書き上げると思いますので、それでもOKという方のみ、お付き合いいただけたら幸いです。

ジェンダー論にも興味があり、2gether視聴をきっかけに「私は、服装も髪型もジェンダーレスなものが好き」だと気付きました。より自分らしく、自由に生きるために、自分のライフスタイルを改めて模索しています。

また、短期でも、長期でも、海外に滞在するのが好きです。特にアジアの、雑多で活気あふれる街並みや文化が大好きです。海外旅行や、海外生活についても記事を書くと思います。

 

タイBL、その他BL作品、ジェンダー論、海外生活を柱に、短文はTwitterで、長文はこちらで書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。